3号機パチスロのリセットが主な仕事だった26年前のパチンコ店でのアルバイト

懐かしいパチンコ台

生まれて初めてのアルバイトがパチンコ店

懐かしいパチンコ台
今から26年前(1990年)、私は18歳で大学1年生だった。それまでは全くアルバイトというものをしたことがなかった。

大学で出来た友人が働いていたパチンコ店に誘われ、人生初のアルバイトをする事となった。

仕事は単純作業だった。

アルバイト初日、任されたのはパチスロのコーナー。仕事内容は

パチスロのボーナス後のリセット

設置されていたのは山佐の『スーパープラネット』だった。ビッグボーナスが終わると店員がカギでリセットをかけないと連続遊技が出来なかった。人気機種だったので30台あったスーパープラネットのコーナーはいつも満席。

次々とボーナスがかかり、リセット待ちの客から呼び出される。コインは自動で補給されるのでリセット以外の仕事は『灰皿の掃除』だけだった。

なんとタバコを吸ってもOKのアルバイト

ボーナスがかかるまではアルバイトはする事がない。しかし、

タバコは自由に吸えたのである。

リセットのために呼ばれると吸っていたタバコを灰皿に置き、お客さんの台に向かう。リセットが終わると再びタバコを吸う。暇な日は6時間のアルバイトで1箱吸った事もあった。

中には『くわえタバコ』でリセットに向かうアルバイトもいた。

今では考えられないですね。タバコは良いのに飲み物は禁止という訳の分からないルールのパチンコ店だった。

パチンココーナーも楽だった。

玉箱は『大当たりしてから持って行く』というスタイルだったので、仕事は大当たりした客に玉箱を持って行くだけ。

大当たり終了後はお客さん自身がジェットカウンターまで玉箱を持ってくる

はっきり言って楽だった。ほぼほぼセルフサービスだった。ただ、『たぬ吉くん』や『ビックシューター』などの羽モノは3000発終了でしたので確認がめんどくさかったが。

お隣のパチンコ店の方が仕事が多い

隣にもパチンコ屋があり、仕事内容や時給は同じだがパチスロのコイン補給が『手動』だったこと。設置してあるパチスロが裏物の『ビックベンハー』連チャンしまくる台である。

コイン補給を頻繁にしないといけないのでかなり面倒くさい。働くのが隣でなくてよかった。

このアルバイトを皮切りにこの後『10数年』パチンコ店で働いて店長までなったが、この時働いていた時が一番楽しかった。懐かしい。

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この記事を書いた人

元パチンコ店長。今では考えられないパチンコ店員の実態やパチンコ店運営、集客にまつわる話を暴露していきます。YouTubeチャンネルもぜひチャンネル登録よろしくお願いいたします!

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